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この高野寺界隈は昔でいう本町七丁目あたります。

当山の縁日であります、21日も「七丁目のお大師さん」と昔から市民の方々に親しまれてきました。

車も電車もない時代、和歌山市内から高野山に行くのは距離があり困難でした。
そこで当寺の厄除弘法大師様へお参りされたわけでございます。

境内のお堂は高野山奥の院と同じ配置につくられており、向かって正面のお堂が、前堂(礼拝所)奥之院でいうところの灯篭堂、そして正面向かって奥のお堂が弘法大師様が御入定された御廟である奥堂という様な格好で造られております。

戦前は境内に傘地蔵さまもおられたそうですが先の戦火により焼失してしまいました。
毎月21日になると昼夜問わず当寺の厄除弘法大師様へ大勢の参拝者がお参りに来られます。